思想論“the Survival of the Fittest”〜社会進化論〜

私がこの授業を受けてきて,一番印象に残ったのはこの言葉である.
なので,今回この最適者生存の原理,社会進化論について調べてみるとともに,この原理から生まれた思想や,この最適者生存に対する自分なりに考えをまとめてみることにした.

まず,最適者生存の原理について授業中の配布資料から引用,要約してみる.

19世紀後半のアメリカは,いわば高度成長時代にあたっていた.南北戦争の終焉によって出現した広大な国内市場,移民の安価な労働力,豊富な天然資源.それらが産業を急速に成長させた.
この成長を支えていたのは,いわゆるレッセフェール政策,つまり経済活動に対する自由放任主義政策であった.そして,それを支持していたのがH.スペンサーの社会進化論(Social Darwinism)であった.この理論によると,進化の原理は環境による古来の「淘汰」を通した「最適者生存」である.社会もこれと同じように,「最適者生存」の原理によって進歩するに違いない.社会はそうした生存競争を経て単純なものから複雑なものへ,低次元のものから高次元のものへと進化してきた.このプロセスは「自然法則」なのだから,人間が小ざかしくてを加えたりしてはならない.進化論は,そう受け止められた.
この考え方の特徴は,社会を有機体になぞらえて考える有機体説であることと,個人のおかれた状況を環境に対するその個人の適・不適によって解釈するという意味での個人主義である.この考えからによれば,たとえば貧困は個人の怠惰や放蕩の結果なのだから社会的救済処置など必要ない,ということになる.
景気循環は合併をうながし,独占的な大企業が出現した.カーネギーやロックフェラーなどの百万長者が現れ,その「成功物語」が「丸木小屋からホワイトハウスへ」という「アメリカンドリーム」と「最適者生存」をさらに強い信念にした.その一方,財界は政府と癒着し,腐敗を生んだ.

次に,同じく「ヨーロッパ社会思想史」(山脇直司著)から引用,要約してみる.

神学を否定して世俗社会の進歩を説く思想が,社会進化論として流行しはじめるのは,スペンサーによってである.スペンサーは,ダーウィンに先立って「進化論」という言葉を用い,万物の進化をとく「総合哲学」をくわだてた.万物の進化法則を単純なものから複雑なものへの変化とみなして,特に社会のレベルにおいては,変化する条件に適応する人々は生き残り,適応しない人は滅びるという,「最適者生存(the survival of the fittest)」の法則を掲げた.また,有機体としての社会は,軍事型のハードな社会から産業型のソフトな社会に移行する必然性をもっており,国家はこの社会法則に干渉することなく自由放任(レッセフェール)政策を採るべきである,というのがスペンサーの社会進化論であった.

このようなスペンサーの社会進化論が,巻き起こしたさまざまな議論を以下にあげる.(出典同上)

・進化の法則は,過酷な「弱肉強食」であり最適者とは強者に他ならないがゆえに,スペンサーのような自由放任政策ではなく,進化法則に逆らう倫理や社会政策が採られなければならない
・進化の法則は,生存競争ではなく「相互扶助」に基づいており,その自然な原理に逆らうような不必要な国家は打倒すべきである
・進化の法則は,「優勝劣敗」であり,それが自然の進化法則である
 
それぞれ,トーマス・ハックスリー,クロポキトン,ヘッケルや加藤弘之の論である.

はじめに,ハックスリーの論について考えてみる.確かに「最適者生存」=「弱肉強食」とも取れるのだが,だが果たして「最適者」=「強者」であろうか?私は必ずしもそうとはいえないと思う.なぜなら,ここに子供という概念を持ち込むと,おかしなことになる.「弱者」である子供は,最適者ではないゆえに,生存できないことになるので,大人に成長する前に死んでしまい,その子孫は生まれることはなく,種は絶滅することになる.実際のところ子供は「弱者」である間は何らかの形で親に保護されて生存しているために,種は滅びることない.なので,この“最適者とは強者に他ならないがゆえに”という前提条件のもとに成り立っているこのハックスリーの論は正しいとは言いがたい.

 次に,クロポキトンの論について考えてみる.この論は上のハックスリー流の進化論的解釈とは反対の立場をとっている.クロポキトン自身は,上にあげたように,ダーウィニズム的生存競争の原理を排して,相互扶助原理を掲げ,協同組合的な共同社会の連合を将来の社会主義の目標とみなしていた.(社会思想辞典:田村秀夫編集より)確かに,相互扶助だけでやっていける間はいいだろうが,果たして相互が危機に陥り,扶助をする余裕がない場合をかんがえてみる.この論に従い「進化法則に逆らうような倫理や社会政策」を採るような国家を打倒,即ち介入を禁止した場合,両者は滅んでしまうだろう.どこまでを「相互」とするかが問題だが,規模が大きくなれば結局同じことだと思う.

 最後に,ヘッケルの論について考えてみる.この論は個人的には最適者生存の原理を強くしたというか,そんな感じである.この論は強権主義であり,弱者は滅び,強者は生存するというものである.この思想の延長線上には,「優生学」があり,それはナチスの人種政策に利用される結果となった.なので,やはりこの論は行き過ぎで,現代においても過去においても通用するものとはいい難い.

 もともと,最適者生存の原理とは,変化する条件に適応する人々は生き残り,適応しない人は滅びる,という原理である.実際,古代で繁栄を極めていた恐竜は,氷河期に入り変化する気温に適応できずに,絶滅したわけであるし,弱者であった人間が現在繁栄を極めているのも,火をおこし暖を得て,武器を用い他の動物を攻めることにより,生き延びて,人口が爆発的に増えてきても,文明の力でなんとかやってきたからであり,これを最適者というのだろう.社会のレベルでも,景気変動や,変化する需要に適応する会社は生き残り,そうでない会社は倒産する.そしてより強い会社だけが残っていく.一見正しいように思えるこの最適者生存の原理だが社会に適応「できない」弱者に対しては救済や介入をしなくてもいいのだろうか?

 おそらくこの答えはNOである.なぜなら社会に適応できない人間を見捨てるという行為は,現代社会の世論に受け入れられるわけがない.一時は最適者であっても,避けることのできない老化により,最適者ではなくなる.そうすると,適応「する」「しない」ではなく,適応「できない」のである.スペンサーのこの理論は,社会において全ての人間は,何らかの方法で社会に適応「できる」という前提のもとでの考え方ではないのか?と思った.当時スペンサー・ブームといって大流行し,大衆に受け入れられていたのは,おそらく社会的平等という考えがなかったからであろう.いまや社会的平等が緊急に実現されているなか,このスペンサーの社会進化論は時代遅れの保守主義でしかない.

かといって,現代社会で社会進化論が完全になくなっているかというとそうともいえない.社会進化論的思考方法はいまもなお絶えず使われている.最後になるが,以下に社会思想辞典:田村秀夫編集より引用した要約を示す.

 社会進化論は,生存競争,自然淘汰,適者生存を説くことによって,人間が生来,自由・平等であることを否定し,現実の世界における平等化の要求は,人間の自由な創造性に歯止めをかけ,結果的には人間を怠惰にさせるという論法の有力な根拠として用いられている.また,この社会進化論は,不平等を是正する闘争や運動に対しては,常にそれらを過激なものとして否定し,斬新的進化主義の名において結局は,自由や民主主義を拡大しようとする一切の闘争を否認する結果に導く.

 こうして,社会科学の発展した現代においても,なお社会進化論的思考方法は生き続け,それは,社会の科学的な分析を妨げ,政治的には現状維持を是とする保守の論理の思考的根拠として機能する危険性を多分に持つものといえよう.